免疫系の勉強をしたり、担がんモデルマウスの種類を調べたので自分なりに整理したいと思って書きました。
抗がん剤の開発なんてのはシャーレにいるがん細胞に薬候補をかけて、がん細胞が良く死ぬか死なないかを見るだけで十分じゃないかと思われる方もいるかと思いますが、実際の所はそれで十分とは言えません。なぜなら、シャーレ内と生体内とでがん細胞の周辺環境は大きく異なるからです。主な差異でも、
・・・・・・と枚挙に暇がありません。これほどまでに差異がある中で、薬候補がシャーレ内でがん細胞に効いたからと言ってがん患者にも効くと言うのは早計です。
よって、上記の環境をできる限り模倣した実験系が必要となります。そこで現在研究で汎用されているのが担がんマウス(Tumor-bearing mice)です。担がんマウスとはその名の通り体内にがんを宿したマウスであり、このマウスに薬剤を投与して宿したがんの増殖/縮小を測定して薬候補を評価する事が多いです。
そして、この担がんマウスにも多くの種類が存在し代表的なモデルを挙げてみます。
担がんマウスの一例
Dong, H., Dong, C., Ren, T., Li, Y. & Shi, D. Surface-Engineered Graphene-Based Nanomaterials for Drug Delivery. Journal of Biomedical Nanotechnology 10, 2086-2106, doi:10.1166/jbn.2014.1989 (2014).
より改変
・同種移植(allograft)での担がんマウス
このモデルはマウスに発生したがん細胞(マウス由来がん細胞)を別のマウスに移植したものです。
移植細胞も宿主もマウス同士である同系移植であるため、拒絶反応は一般的になく、C57BL/6, ICR, BALB/cなど通常の免疫系を有したマウスを用いる事ができます。
移植する細胞は細胞バンクや他研究室から分与され、それを自研究室内で継代培養して実験に用いる事が一般的です。マウスの同種移植ではマウス由来がん細胞である、大腸がん細胞CT26,乳がん細胞4T1,腎細胞がんRENCAなどがよく用いられます。
実際での実験としてはがん細胞懸濁液またはがん組織片を皮下に注射してがん組織を形成させることが多いのですが、がん周辺環境の再現性向上を目的として、同種箇所(大腸由来がん細胞なら大腸に、肝臓由来がん細胞なら肝臓に)移植する事もあるそうです。
このモデルでは血管新生などは割と模倣でき、その上免疫不全マウスが必要ないという利点はあるのですが、やはりマウスのがん細胞と人のがん細胞では種の違いによる差は存在します。さらに外部からがん細胞を移植しているので、自然発生した腫瘍と同様の環境が維持できているかも疑問です。
余談ではありますが、絶滅危惧種であるタスマニアデビルの個体数現象の主な原因である「デビル顔面腫瘍性疾患」も同種移植の分類に加えてよいかも知れません。
・異種移植(xenograft)での担がんマウス
このモデルはマウス以外のがん細胞(主にヒト由来細胞、#それはそう)をマウスに移植したものです。
この場合は移植細胞がヒト由来、宿主がマウスなので健常マウスでは免疫系によって拒絶反応が生じ、移植細胞が定着しません。よって免疫不全マウスを宿主に用いる必要があります。
最も有名な免疫不全マウスはヌードマウスで、高校の生物授業で習ったという人も多いと思います。このヌードマウスは胸腺を欠いており、T細胞が血中に存在しないため拒絶反応を生じません。よって、ヒト由来のがん細胞も体内に定着し腫瘍を形成することが可能です。
上画像2点は浜島書店『ニューステージ新生物図表(2011)』より
しかしながら、ヌードマウスにはNK細胞やマクロファージといった一部の免疫系(自然免疫)が残存するため一部のがん細胞またはヒト由来造血幹細胞は定着しません。よってより高度な免疫不全マウスの開発を目指し、Scidマウス, NOD/Scidマウス, NOG(またはNSG)マウスなどが作られました。
この異種移植担がんマウスモデルの利点は、やはりヒトのがん細胞を用いているという事です。がん患者と実験モデルとの差異はヒト由来がん細胞の方がマウスの物よりも比較的小さいと考えられます。
一方で、外部からがん細胞を移植している点は同種移植と同じなので、実際に患者内のがん環境と同等の環境を維持できているのかは疑問が残ります。
ちなみに、ヌードマウスが普及するまでのがん研究では、ハムスターの頬袋が異種移植に用いられていたそうです。
【組織培養における発癌実験:動物への復元接種について】
http://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/information/history/takaoka/documents/fukugen.htm
・自然発生担がんマウス (化学的手法、遺伝子工学的手法)
上記2つの担がんマウスは外からがん細胞をマウスに移植していました。
対して自然発生担がんマウスは、発がん性物質をマウスに投与する方法または、がんが自然発生するように改変を施した遺伝子組換えマウスを用いる事によって、マウスにがんを自然発生させるモデルです。
特に遺伝子組換え的な手法ではCre-loxPシステムを用いることで、臓器特異的にがん原遺伝子である変異型Krasを発現させたり、がん抑制遺伝子であるp53やTgfbr2をノックアウトさせる事により、特定の臓器にがんを自然発生させることが可能です。
このモデルは多段階発がんを模しており、前述の同種・異種移植と比較して自然発生がんであることから、がんの周辺環境・発達や転移を比較的よく模倣していると考えられます。
しかしながら、あくまでマウス由来のがんであり、ヒトにそのまま適応するのは難しいと考えられます。
以下の論文ではマウスに複数の遺伝子改変を行う事で膵がんの前癌病変と進行膵がんを作り分ける事に成功し、膵がんマウスにおいては生後5週でほぼ全てのマウスに進行膵がんが形成されています。
膵癌の遺伝子改変動物モデルとその有用性 伊地知秀明
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suizo/25/1/25_1_28/_pdf
・患者腫瘍移植マウスモデル(Patient-Derived Tumor Xenograft:PDX)
がん患者から手術でがんを取り出し、そのがんの組織片を高度免疫不全マウスに移植したモデルです。(移植する部位は皮下、現臓器と同じ所など色々)
移植するのはヒト腫瘍片そのものなのでがん細胞周辺環境(がんの不均一性、間質などの内部構造、腫瘍関連マクロファージなど)がそのまま保たれており、これまで述べてきた担がんマウスモデルの中で最も患者のがん環境の再現度が良いとされています。また用いる腫瘍片が患者由来なのでがんの個別化治療にも応用が可能とされています。
欠点としては高度免疫不全マウスが必要でその扱いが難しい点や(異種移植も同じですが)、宿主のマウスが免疫系を欠いているためにがん患者が本来持っているがんへの免疫応答までは再現できないという点があります。
免疫系を欠いているというがん周辺環境再現度の欠点を克服するため、腫瘍片だけではなくヒト造血幹細胞も同免疫不全マウスに移植して、腫瘍担持に加えヒトの免疫系をも同時に模倣し、ヒトのがん周辺環境をより忠実に再現した担がんマウスを作出する研究も存在します。
患者腫瘍移植マウスモデル(Patient-Derived Tumor Xenograft:PDX)とその活用-個別化がん治療(Precision Cancer Medicine)に向けて- 岡田 誠治
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cytometryresearch/27/2/27_D-17-00013/_pdf
以上のようにがん研究における担がんマウスモデルは様々な種類があり、目的に応じて使い分けられています。
ですが、全て担がん「マウス」モデルであり、宿主はマウスです。宿主がマウスかヒトかという差異は依然として存在し、例えばマウスの体重は25gに対してヒトは50kg(wow! 2000倍!)です。また血液量はマウスが2mLに対してヒトは5Lです。さらに用いている酵素など細かい差異を挙げればキリがありません。
しかしながらこれら差異があったとしても依然としてマウスモデルはヒト疾患の前臨床モデルとして非常に優秀であり、これらマウスの犠牲によってがん研究は進歩してきました。いずれこの研究に終止符が打たれる事を願っています。
以前に人から、「倫理・人道を完全に無視できたとしてヒトを実験動物に使えたら研究は進むか?」と聞かれました。以前の私の考えとしては、そこまでがん研究は進まないのではと答えました。理由は何といっても1世代の長さです。マウスの場合は6週で性成熟を迎えますが、ヒトの場合は728週(14歳)かかります。
さらに、理由は分からないのですが、マウスに皮下移植した腫瘍は適切な種を選択すれば健常免疫/免疫不全にかかわらず、数週間で実験が可能なサイズまで増殖する場合が多いです。対してヒトでの腫瘍倍化時間は数十日から数百日かかる(※1)とされているので、1世代に15年程度はかかるので無理がある・・・
と当時は思ったのですが、この文章を考え書いている時にやや考えを改めました。仮に(本当に仮にの話です)実験動物供給会社のような組織が存在して、継続的に適齢のヒト近交系実験体の供給を受ける事ができ、その上経験豊富な研究者による綿密な実験計画を作れば1世代の長さを十分補えて時間的ロスを小さくできるため、実験期間は長くなりますがマウスと比較してかなり有益なデータを得られるかもしれません。
(非人道的ではありますが、意思疎通ができればより効果的であるとも思います。獣に対する実験と人を対象とした実験の決定的な差は問診が可能かどうかにあるので。
実験を行う側も精神的に荒廃しそうですが・・・)
またマウスとヒトの体格差から、今までのマウス用実験設備とは比較にならないほどの大規模設備も必要となるでしょう。
※1 Taurin S., et.al., J. Control Release, 164, 265-275(2012)
補足 免疫不全マウスたちについて
免疫不全マウスはヒト由来(がん)細胞をマウスに移植する際になくてはならない存在でありますが、それらについて補足します。
- ヌードマウスの遺伝子的根拠
ヌードマウスはFOXN1という遺伝子が機能喪失していることにより、ヌードマウスとしての性質(無毛、胸腺がない=T細胞がない=獲得免疫がない)を発現します。
このFOXN1遺伝子は優性遺伝子(現在(2018)の高校生物で言う顕性遺伝子)のため、両親から1対ずつ受け継いだ対立遺伝子の両方が機能喪失したFOXN1機能喪失型のホモ結合体である必要があります。そのため、BALB/cのヌードマウスを遺伝子的に詳しく表記すれば BALB/c FOXN1 null/nullとなります。(「null」= 何もない ≒ 機能喪失を意味)
ちなみにBALB/cヌードマウス一般名の「BALB/c-nu」の「nu」は斜体ではないため、遺伝子的な「null」ではなく、見た目そのものの「nude」を指しているはずです。(nuまでは同じだからややこしい・・・
また、「ヌード」の名の通りに後述の高度免疫不全マウスらと違って無毛であるため、各種実験手技が行いやすい事や、ルシフェラーゼや蛍光物質などからの微弱な光を毛が遮蔽しないためIn vivo Imaging Systemなどの生体光イメージングに適しているという利点もあります。
- Scidマウス, NOD/Scidマウス, NOG(NSG)マウスについて
上記3種のマウスは免疫不全マウスとして有名な種類です。これらはヌードマウスを超えた免疫不全状態を実現するために作出されました。また、NODマウスは免疫不全マウスではないのですが説明に必要なので項目を設けています。
Scid(Severe Combined Immunodeficient)マウスとは高度免疫不全マウスです。
Prkdc (Protein kinase, DNA activated, catalytic polypeptide)を欠損しているため、T細胞とB細胞の遺伝子再構成が生じず、T細胞とB細胞を欠いた免疫不全マウスです。
NOD (Non Obese Diabetes, やせ型糖尿病)マウスは塩野義製薬が発見したマウスです。
免疫不全マウスでないのですが、NOD/Scidマウス・NOG(NSG)マウスの親品種であるためここで説明します。
NODマウスの正式名であるNOD/ShiJclの<Shi>は塩野義製薬のShiです。このマウスは自己の膵臓を攻撃する異常T細胞を有し、そしてNK細胞・マクロファージ・樹状細胞の活性が低下したマウスです。(免疫不全マウスとまでは言えない)このNODマウスと前述のScidマウスを掛け合わせたのがNOD/Scidマウスです。
NOD/Scidマウスはより進んだ高度免疫不全マウスです。NODマウス由来のNK細胞・マクロファージ・樹状細胞の活性低下と、Scidマウス由来のT細胞とB細胞の欠損という2つの形質を掛け合わせて作られ、非常に高度な免疫不全を実現したマウスです。
そして、NOG(またはNSG)マウスは、その上より進んだ高度免疫不全マウスです。超免疫不全マウスとも言います。このNOG(またはNSG)マウスは、前述のNOD/Scid マウスと、NK細胞に関係する遺伝子である「IL-2受容体γ鎖」を欠損したマウスを掛け合わせることにより、体内からNK細胞をも完全に無くしたマウスです。もちろんNOD/Scid マウスの特徴であるT細胞とB細胞の欠損も受け継いでいます。
NOGマウスとNSGマウスの違いについては、NOGマウスは東北大学の菅沼、実験動物中央研究所の伊藤らによって作出されたマウスでIL-2受容体γ鎖を一部欠損しています。NSGマウスは米国のジャクソン研究所のShulzらによって作出されたマウスで、IL-2受容体γ鎖を全て欠損しています。両者共に片親にNODマウスを用いていますが、一口にNODマウスと言ってもそれには相当な遺伝的差異があると言われています。NSGマウスの方が体格が大きくて丈夫とされていますが、詳しい差は分かりませんでした。
高度免疫不全マウスの開発と医学生命科学研究への活用 岡田 誠治
Cytometry Research 27 (1) : 25 ~ 31 , 2017
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cytometryresearch/27/1/27_D-17-00005/_pdf
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